心の移動

OZ

OZ

ozです。最近またよく聴いています。100sというと、なんとなく仲良しバンド的なイメージで語られることが多かったと思うけど、それとはうらはらな、なんかものすごい、サウンドが重くてアルバム全体がわかりにくい感じがあった。でもフラワーロードを経た後にあらためてこれ聴くと、なんかぜんぜん変わってなかったんだなと思う。


オズの魔法使いといえば、ドロシーが仲間を得て旅をする冒険譚がメインのストーリーで、それは1人だった中村くんが、100sという仲間を得てバンド活動をすることにつながるんだけど、もう一つのストーリーは、最強の魔法使いとしてエメラルドシティの宮殿に閉じこもり、誰にも姿を見せなかったオズ大王が開放され帰ってゆくことだと思う。そしてそれは言うまでもなく中村くんの姿に重なるわけで。
つまりozというアルバムは、初めからこの2面性を持って作られていたので、前者の明るいイメージだけで聴いていても、なんか重くてよくわからないというのも当然だったと思う。


「ここが果てなら」 世界の果て=江戸川まで来て死んでもいいんだと思う。=消極的な死 から
「Honeycom.ware」 心生きるのなら死(に)な=積極的な死
を経て
「扉の向こうに」での再生まで。ここで蹴り上げているのは、状況が裂いた部屋の扉でしょう。
ここまでの距離と時間と心の移動を思う。


ところで最近知ったんですが、中村くん名義の曲「キャノンボール」で、
  そこで愛が待つゆえに 愛が待つゆえに 僕は行く
のコーラス部分が、
  そこで愛が待つゆえに(嘘でも)愛が待つゆえに 僕は行く
なんですよね。
前者と後者がまさにoz的な二面性を持ってると思います。100sって初めからこういうバンドだったんだね。

同情と 嘘に慣れた 世界はもうやめよう
うん そして始めから やり直せばいい
        扉の向こうに / 100s







SL300RT*




<付記>
ということを思ったのは、「フラワーロード」を聴いたからなのでした。あ、まだこの世界はあるのだなと。だって「魔法を信じ続けているかい?」だもんね。「oz」が複合的な名盤だとすれば、「ALL!!!!!!」はドロシー方向に、「フラワーロード」はオズ方向に振り切ったアルバムなのだと思います。

ALL!!!!!! (DVD付)

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というわけでALLとか聴きなおしています。良いです。