今年も終わり

JPN(初回限定盤)(DVD付)
 JPN / Perfume




ことしも終わりそうですね。ちょっと前だけれど、レビューを。
やっぱりGLITTERですかね。ナカタさんのネ申アレンジ。
最初、
  ころぶのは簡単で 変な石
  カロリーは立ち上がる
  のには
に聴こえてた...。


シングルより熱い感じのアレンジですよね。
間奏のグリッタグリッター・グリッタグリッター っていうコーラスがいいですね。
それから、詞が素直にいいと思う。
  立ち上がるのには いるのGLITTER
のところと、
  キラリ光る そうさGLITTER
のところがいいな。
GLITTERは、心の中にみんなあるものなのだと思います。


詞のなかにでてくる僕たちの一方の人であるキミは、もう亡くなった人なのかな。
夢の中で会える人で、約束をして思い出す人で。
そう思った。




こちらで写真日記を始めました。(あんまり更新できてません...)
SQ30mというポケットカメラなのですが、シャッターが切れるまで
10秒くらいかかるんですよね...  うーむ怪しい...
あと、いつのまにか壊れてたみたいで、夜充電しておくと、
次の朝にはもうバッテリが空になってるという...
そんなカメラでやってます。
http://d.hatena.ne.jp/offSight/


付記:SQ30mはこんなかんじのカメラです。

ちょっと前に読んだ本

ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)
 ヒトはどうして死ぬのか / 田沼 靖一





人はどうして死ぬのか … それは老化した遺伝子とか、傷ついた遺伝子を消去するため。というと身もふたもないですね。細胞レベルでは、壊死(ネクローシス)とアポトーシス(自死)とアポビオーシス(寿命死)と3つも死が用意されていて、それは、個体の維持や成長のためには必要なことで、それのスーパーセットが、ヒトの種に対しての個体の死になっている … と説く。それと、生命の歴史のなかで個体の死が現れたのは、有性生殖をするようになってとのこと。きっとどんなに苛酷なことがあっても、有性生殖と個体の死で種としては対応できるし、してきたんだろうなあと思わせられる。

しかしがんになったら、人類のためだ、死んでほしいといわれても、個人的には納得できないよねえ。そういう、個人の感情レベルと、生物全体としての必要性のレベルとはきっと一致しないんだろう。それは極端な話ではある。

しかしがんの話の怖いところは、がんにならなくても人はいつか死ぬということをセットで連れてくることだと思う。普段は意識していないことなのに。でも、まあ、死ぬ日までは生きていようと思った。

原発とプルトニウム

原発とプルトニウム (PHPサイエンス・ワールド新書)
原発プルトニウム / 常石 敬一





と、なんだかすごいタイトルですが、本のあたま9割くらいはおとなしい科学史です。それこそキュリー夫人の牧歌的なガレージサイエンティストの時代から、途中で戦争の原爆製造研究に話が移ります。
プルトニウムって、あたりまえに元素表に入っているけれど、人間が原子爆弾を製造するために作ったものだったのか..。 それから、原子爆弾の研究には、ナチスドイツを追われたユダヤ系の科学者たちが大きな役割を果たしていたのと、戦時中のアメリカやイギリスでは、ナチスドイツでは原子爆弾をすでに造っているのではないか... という疑心暗鬼が開発の大きな原動力だったというのが、それが日本に落とされたというのが、おおきな歴史上の皮肉というか、悲劇だったということがわかった。

つづきとか

でそのあと、よしもと夫妻となんとなくシンクロする気がして、ひとかげを読んでみた。
よしもとさんは体が弱かったと書いてあったので、つぐみってよしもとさん本人だったんだなと思ったし、人の体を直すというか、整える職業の人を伴侶にするというのが通じていると思ったので。


ひとかげ
ひとかげ / よしもとばなな





主人公が医者でもカウンセラーでもなく、アシスタントをしているというのがわかる気がした。とかげも、元の本のほうの「とかげ」では、人を治す能力が超能力のようだったのだが、こちらでは現実味があった。たぶん現実のほうが進んだんだと思う。
それで、ひとかげを読んでいて、生きていて楽しく過ごすということ、呪うことからの赦しとか、傷を負うことと回復することとか、が書いてあって泣けた。
最初に読んだときには気付かなかった。

健康って?

Q健康って?
Q健康って? / よしもとばなな





よしもとばななさんはしかし、いろんな分野の健康法(というか、代替医療)について日々探究しているのだなあと、いやしかしすごい、と思いつつ読んだ。ちょうどそのまえに、村上春樹さんの、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだばっかりだったので、やっぱり作家の人は、ものすごく健康に気をつかって書いてるんだなあと思ったのだった。あと、安田隆さんの、p117の図で、「まわりの円をぐるぐるまわっている。真ん中の『ん』の場所にいることが大事」というのが、よかったです。


最後のるなさんのがん闘病記が壮絶すぎて、それまでのふむふむ読んでいたのが、本当に生死の話になって、考えさせられた。なので、この本は、健康とは、ではなくて、健康って?と問いかける本だ。読んだ後、健康って? と思っている。

ひきこもりライフ

安心ひきこもりライフ
安心ひきこもりライフ / 勝山 実





イラストのキャラクターがかわいいですね。
あと待ち合わせの時間にぎりぎり間に合って、セーフと思っているのは間違いで、ぎりぎりに着くのはアウトなんだというのに、妙に納得した。肝に銘じよう。
巻末の甥っ子との交流には心温まります。

環境放射線

文科省で環境放射線の調査結果を公表しています。ので、
↓ここのページの、下の調査結果のところにある、
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303723.htm


↓環境放射能水準調査結果(都道府県別)[平成23年4月10日(日曜日)13時00分版]というのを見てみました。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/10/1304777_041013.pdf


単位が1時間当たりの[uSv]の量で、調査結果の3ページ目の放射線量の目安が年当たりの量なので、1時間当たりの量を、24倍して365倍して1000で割って、1年当たりの[mSv]の量にしてみました。つまり現在の値が、実際には今後増えるかもしれないし、減るかもしれないのだけれど、便宜的にこのまま変わらずに続くとした場合の値です。あと、24時間、野外にいるわけではないので、厳し目に見てはいます。


グラフです。


個人個人で事情もあるし、判断は自由にしていいと思いますが、個人的には、一般公衆の年間の線量限度である、1[mSv/y]以下の地域では、冷静にしていていいのではと思います。世界平均である、2.4[mSv/y]を超えて、ブラジルの放射線量の10[mSv/y]に近づいたら、家族は避難を考えたほうが良いかなあ...? (あくまで個人的な考えです)


しかし正直言って、グラフにしてみて驚きました...。*1

付記

いやーこわいですね。一般公衆の線量限度はあくまでも年間1mSvなのですね。なんだかんだ言って100mSvまでは安全なんだと思っていましたが、1000人に5人の発ガンなんだそうです。200人に1人って多くないですか? 中部大学の武田先生のブログを見ていたら、怖くなりました。そうか初動で逃げるのが大事なのか...
http://takedanet.com/

付記2

それから、ちょっとくらいの放射能で騒いだり、ペットボトルの水を買うのは、エゴなんじゃないかとか、野菜の産地を選ぶのは風評加害に加担していて人間的にどうなんだろうかとか思っていたんですよ。 ...思いませんか??
国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告のなかに、放射線防護の基本原則というのがあるそうなんですよ。

・正当化の原則
 放射線被ばくの状況を変化させるようなあらゆる決定は、害よりも便益が大となるべきである。
・防護の最適化の原則
 被ばくの生じる可能性、被ばくする人の数及び彼らの個人線量の大きさは、すべての経済的及び社会的要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保つべきである。
・線量限度の適用の原則
 患者の医療被ばく以外の、計画被ばく状況における規制された線源のいかなる個人の総線量は、委員会が特定する適切な限度を超えるべきではない。

2番目の防護の最適化の原則というので、「被ばくは、経済的及び社会的要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保つべきである」、とあるんです。つまり、経済的な範囲で、社会的な範囲で、合理的な範囲で、被ばくはできるかぎり避けていいんです。


だから、海外や関西とか沖縄に避難した人を責めてはいけないし、野菜の産地を選んでもいいし、ペットボトルの水を買ってもいい。但し、仕事とかで避難できない人はしなくてもいいし、水が手に入らなければ水道水を飲んでもいいし、野菜も同様。そこはできる範囲でいい。というのが一応の自分なりの結論です。

*1:何を驚いたのかという質問があったので..。福島市がすでに、よく引き合いに出される世界一自然の放射線が高い地域のレベルを超えていたこと。発表されている毎時の値だと、小さくみえるのでよくわからないですよね。